新緑に包まれた「武家の古都・鎌倉」に2つの門がよみがえった。鎌倉唯一の尼寺である英勝寺の山門と鎌倉五山第1位、建長寺の唐門である。
鎌倉旧市街の扇(おうぎ)ガ谷(やつ)にある英勝寺は、徳川家康の側室で、初代水戸藩主、徳川頼房の養母のお勝の方(英勝院)が建立した。水戸徳川家の姫君が代々の住職だったという。北鎌倉から鎌倉駅に向かうJR横須賀線の電車がトンネルを抜けてまもなく、車窓からも木立の中に山門を望むことができる。
江戸時代の1643(寛永20)年に建てられ、1923(大正12)年の関東大震災で倒壊。再建が困難なことから「薪(まき)にでもしてもらおう」と売りに出されたこともあったが、篤志家(とくしか)が買い取り、市内の東勝寺跡に移築したという。
宅地開発問題などの影響で、10年前に解体して英勝寺が買い取り、地元の人たちが山門復興事業事務局を作って再建を後押ししてきた。保存状態が良く、復興工事開始前の2003(平成15)年には部材のまま神奈川県の重要文化財に指定されている。
山門がよみがえったのは貴重な文化遺産を後世に伝えようとするたくさんの人たちの思いがあったからだろう。
(撮影:写真報道局 渡辺照明/文:編集委員 宮田一雄/SANKEI EXPRESS)
建長寺唐門も江戸時代の建築だ。1628(寛永5)年、崇源院(徳川2代将軍秀忠の正室お江の方)の霊屋の門として東京・芝の増上寺に建てられ、1647(正保4)年に移されたという。霊屋もそのときに移築され、建長寺仏殿となっている。漆の黒に金色の飾り金具。解体修理で建立当時に再現された門の姿は、戸惑いを覚えるほどの輝きを放っている。
■世界遺産「平泉効果」に期待高まる■
ユネスコ(国連教育科学文化機関)の第35回世界遺産委員会が6月19日、パリで始まる。今年は日本が推薦している「平泉の文化遺産」と「小笠原諸島」に対し、現地調査を行った専門家機関から世界遺産に登録するよう5月に勧告が出された。
正式決定は21カ国で構成する委員会の判断を待つことになるが、専門家機関のお墨付きをあえてひっくり返す国もないだろう。
文化遺産の平泉と自然遺産の小笠原諸島の同時登録を国内で心待ちにしている関係者は少なくない。とりわけ奥州の平泉は東日本大震災の被災地に隣接しているだけに、津波で大きな被害を受けた三陸沿岸部の人たちにも大きな励ましになるはずだ。
距離は遠く離れているとはいえ、鎌倉もまた、平泉の世界遺産登録に勇気づけられる町の一つである。
「貴重な文化財や自然環境を人類全体の財産として引き継いでいくのが世界遺産です。平泉が登録されれば、鎌倉にも大きなはずみとなる」
6月12日の日曜日、鎌倉市内で開かれた講演会「鎌倉の武家文化」では、鎌倉世界遺産登録推進協議会の会長として主催者あいさつに立った松尾崇市長がこう語った。もともと鎌倉市は神奈川県や横浜、逗子両市と協力して2010年に「武家の古都・鎌倉」の世界遺産登録を実現すべく準備を進めていた。ところが、2008年世界遺産委員会で平泉が登録延期となり、その影響で、鎌倉の登録戦略も大幅な見直しを余儀なくされた経緯がある。
■2013年目指す「古都」■
その後、社寺境内と周辺の自然地形を一体化させた「武家の古都」の新たなコンセプトを組み立て、現在は文化庁に提出する推薦書案の「最後の最後の詰め」(松尾市長)を進めているという。今後の想定スケジュールは次のようになる。
今年夏、文化庁世界文化遺産特別委員会などで推薦決定→8月、推薦書(算定版)完成→9月、文化庁からユネスコへ推薦書(暫定版)提出→来年1月、文化庁からユネスコへ推薦書(正式版)提出→来年秋、専門家機関の国際記念物遺跡会議(イコモス)が現地調査→2013年6月、世界遺産委員会で登録。
そう、うまくいくかね。地元にはそんな懐疑論も多い。黙っていても観光客は来る。いまさら世界遺産に登録してもらわなくても…といった声も聞く。
いまひとつ、地元の盛り上がりに欠けるのが鎌倉の最大の弱点だという指摘もある。
平泉の再チャレンジがその鎌倉にどんな影響を与えるか。楽しみでもある。




































