今頃は半七様 どこにどうしてござろうぞ…。
大坂・上塩町の酒屋に嫁いだお園。しかし夫の半七には子までなした三勝という愛人がいた。結婚以来、一度も夫に顧みられないお園だが、それでも人を殺め、家を出ていった夫の身を案じ、夕暮れのなか、寂しく恋い慕う。「艶容女舞衣」より「酒屋の段」。
これまでいたのがお身の仇…。
そのときである。吉田簑助の遣うお園の人形が信じられない動きをした。
後ろ向きになり少しのけぞるようにして両袖を華やかに広げ、上半身をねじって少し振り返り、白い美しい横顔を見せたのだ。
「後ろ振り」という女の人形独特の〝型(演技)〟である。人間ならまずしないような形だ。ところが人形がすると、痛切な悲嘆や夫を思う心情がその姿に凝縮されているように感じられるのである。
「後ろ振りもそうですが、お園には、歴代の人形遣いが、練りに練った振りが各所についています。悲しみが最高潮に達したところで、あのように美しい姿を見せるわけですから、まさに文楽は愁いの世界だと思います」と簑助はいう。
世話物の女性の中で、ひとり選ぶとしたら、やはりお園、というほど、簑助にとって愛着のある役どころ。「いまの時代の感覚では考えられないぐらい、おとなしくて控え目で非現実的だからこそ、かえって感情移入しやすいですね」
女方の人形には、「後ろ振り」のほかに、腰を浮かせて右の立て膝をする「ねじ」、袖から袂を見下ろす「姿見」、懐へ手を入れる「懐手」などさまざまな型がある。
簑助はかつて、世界的な舞踊家、マーサ・グラハムに「後ろ振り」について、「あのすばらしい振り付けをした演出家はだれか」と尋ねられたことを、自著『頭巾かぶって五十年』(淡交社刊)に綴っている。
〈『日本人の表現力は恐ろしいほど素敵だ』。いくら褒められても、この振りを考えた人がだれなのか知りません。しかし、その感嘆ぶりに、大阪が生んだ文楽の知恵を、誇りに思ったことでした〉
女方の人形だからこそできる、しなやかで美しく流れるような動き。そこには、彼女たちの悲しみや苦しみがあふれるように宿っている。
写真 頼光 和弘
文 亀岡 典子
【「文楽」のネーミング】
人形浄瑠璃のことを、一般に「文楽」と呼びます。これは、江戸後期、淡路島出身の初代植村文楽軒が、大坂に浄瑠璃の稽古場を開き、その後、人形浄瑠璃の小屋を設けたことに由来します。これが文楽座の始まりとされています。日本各地には、義太夫節と人形からなる人形芝居がたくさん伝えられていますが、「文楽」という名で呼ばれているのは、大阪を本拠地とする「人形浄瑠璃文楽座」だけなのです。
































