文楽に逢う 【後ろ振り】

 今頃は半七様 どこにどうしてござろうぞ…。

 大坂・上塩町の酒屋に嫁いだお園。しかし夫の半七には子までなした三勝という愛人がいた。結婚以来、一度も夫に顧みられないお園だが、それでも人を殺め、家を出ていった夫の身を案じ、夕暮れのなか、寂しく恋い慕う。「艶容女舞衣」より「酒屋の段」。

「艶容女舞衣(酒屋の段)」 他人が見ればどうしようもない夫でありながらも、夫婦となった運命を信じ、半七の身を案じるお園。かたくなまでの女の意地か優しさか。女人形の美の極致とされる「後ろ振り」の背中が泣いていた。 人形遣い、お園・吉田簑助(舞台稽古)=東京・国立小劇場

 これまでいたのがお身の仇…。

 そのときである。吉田簑助の遣うお園の人形が信じられない動きをした。

 後ろ向きになり少しのけぞるようにして両袖を華やかに広げ、上半身をねじって少し振り返り、白い美しい横顔を見せたのだ。

「艶容女舞衣(酒屋の段)」 半七と三勝は心中の覚悟を決め、子供のお通を実家に託した。半七がお通の懐にしのばせた手紙には、お園への謝罪のほか、未来は必ず本当の夫婦になると書かれていた。半七の詫び言が書かれた手紙をきつく抱きしめ、思いを馳せる清純なお園の姿が美しくも悲しい。 人形遣い、お園・吉田簑助(舞台稽古)

 「後ろ振り」という女の人形独特の〝型(演技)〟である。人間ならまずしないような形だ。ところが人形がすると、痛切な悲嘆や夫を思う心情がその姿に凝縮されているように感じられるのである。

 「後ろ振りもそうですが、お園には、歴代の人形遣いが、練りに練った振りが各所についています。悲しみが最高潮に達したところで、あのように美しい姿を見せるわけですから、まさに文楽は愁いの世界だと思います」と簑助はいう。


 世話物の女性の中で、ひとり選ぶとしたら、やはりお園、というほど、簑助にとって愛着のある役どころ。「いまの時代の感覚では考えられないぐらい、おとなしくて控え目で非現実的だからこそ、かえって感情移入しやすいですね」

「壇浦兜軍記(阿古屋琴責の段)」 平家の残党、悪七兵衛景清の行方を追う源氏方は景清の愛人、遊君阿古屋を捕らえ詮議する。行方は知らぬと言い張る阿古屋に対し、代官の秩父庄司重忠は琴、三味線、胡弓を弾かせる。乱れのない弦の調べに、重忠は阿古屋に偽りはないとさとる。愛する人を思い奏でる阿古屋の調べに聞き入り、そして見入った。(人形遣い、秩父庄司重忠・吉田和生 阿古屋・桐竹勘十郎)

 女方の人形には、「後ろ振り」のほかに、腰を浮かせて右の立て膝をする「ねじ」、袖から袂を見下ろす「姿見」、懐へ手を入れる「懐手」などさまざまな型がある。

 簑助はかつて、世界的な舞踊家、マーサ・グラハムに「後ろ振り」について、「あのすばらしい振り付けをした演出家はだれか」と尋ねられたことを、自著『頭巾かぶって五十年』(淡交社刊)に綴っている。

「八陣守護城(浪花入江の段)」 男方の人形の魅力はやはり、凛々しく力強い見得を決める場面だ。とくに武将は内面からオーラが放たれる。敵に毒を盛られながらも舳先に立ち高笑いする加藤正清(歴史上の加藤清正)の豪快さに大きな拍手が起こった。(人形遣い、加藤正清・吉田玉女)

 〈『日本人の表現力は恐ろしいほど素敵だ』。いくら褒められても、この振りを考えた人がだれなのか知りません。しかし、その感嘆ぶりに、大阪が生んだ文楽の知恵を、誇りに思ったことでした〉

 女方の人形だからこそできる、しなやかで美しく流れるような動き。そこには、彼女たちの悲しみや苦しみがあふれるように宿っている。

 写真 頼光 和弘

 文  亀岡 典子


 【「文楽」のネーミング】

 人形浄瑠璃のことを、一般に「文楽」と呼びます。これは、江戸後期、淡路島出身の初代植村文楽軒が、大坂に浄瑠璃の稽古場を開き、その後、人形浄瑠璃の小屋を設けたことに由来します。これが文楽座の始まりとされています。日本各地には、義太夫節と人形からなる人形芝居がたくさん伝えられていますが、「文楽」という名で呼ばれているのは、大阪を本拠地とする「人形浄瑠璃文楽座」だけなのです。


頼光 和弘

頼光 和弘

 事件や事故に災害現場などの緊迫した現場取材が多い無骨者。最近、古典芸能「文楽」の魅力にとりつかれたが「似合わない」との周囲の声も…。チャームポイントはウエスト103センチのビール腹。

PR
パノラマで見る被災地の復興
PR

このサイトについて

MSN産経フォトとは

MSN産経フォトとは

日本での出来事や世界情勢をカメラに収めて、集めました。

ユーザー投稿写真とは

ユーザー投稿写真とは

写真報道の新しい試み。ぜひあなたも投稿してください。

写真販売サービス

産経ビジュアルサービス

産経ビジュアルサービス

掲載写真の使用・販売のお問合せはこちらから!

Copyright 2011 The Sankei Shimbun & Sankei Digital
このページ上に表示されるニュースの見出しおよび記事内容、あるいはリンク先の記事内容は MSN およびマイクロソフトの見解を反映するものではありません。
掲載されている記事・写真などコンテンツの無断転載を禁じます。