海抜ほぼゼロメートルにその学校はあった。北上川のほとりに立つ宮城県石巻市立大川小学校は、全校児童108人のうち、津波で74人が死亡・行方不明となった。学校にいて生還した教員は1人。この教諭や関係者の証言から当時の状況が明らかになりつつある。あの日、何があったのか。(桜井紀雄、荒船清太)(3月21日、植村光貴撮影)
5時間目を終えたとき、大きな揺れが襲った。子供たちは机の下にもぐり、校庭への避難が指示された。泣き出す子もいたが、女性教諭らが付き添った。学校前に自宅があり、同校に通う2人の孫を亡くした阿部文子さん(59)は「校庭に子供たちが整列しているのが見えた。ヘルメットをかぶっている子もいた」。
校庭には、離れた地域の児童を送るためのスクールバスが止まっていた。「いま校庭に並んだ子供の点呼を取っているところで、学校の指示待ちです」。男性運転手(63)は運営会社に無線で連絡した。これが最後の通信。男性も津波で死亡した。会社側は「詰め込めば児童全員を乗せられただろう」としている。
市教委によると、「津波の際、どこに避難するかは特に決められていなかった」という。
男性教諭は、校舎内を確認しに向かった。ガラスが散らばり、児童を中に入れる状況ではなかった。校庭に戻ると、子供たちは他の教員に誘導され、裏山脇の細い農道を列を組んで歩き出していた。坂道を行くと校庭より7~8メートル高い新北上大橋のたもとに出る。教諭は列の最後尾についた。
「ドンという地鳴りがあり、何がなんだか分からないうちに列の前から波が来た。逃げなきゃと思った」。教諭はその瞬間をこう証言したという。波は河口とは逆方向の橋のたもと側から児童の列の先頭めがけて襲いかかった。
気づくと、裏山を登ろうとする児童が見えた。生い茂る杉で周囲は暗いが、ゴーという音で足元まで水が迫っているのが分かった。
「上に行け。上へ。死にものぐるいで上に行け!」と叫んでいた。追いつくと3年の男児だった。くぼ地で震えながら身を寄せ合ったが、お互いずぶぬれ。「このままでは寒くて危ない」と男児の手を引き、山を越えた。車のライトが見えた。助けられた。
被害を免れた大半は津波が来る前に車で親が連れ帰った子供だった。しかし、他の児童とともに農道を歩きながら助かった5年の男児2人もいた。
「山の中で『おーい』と人がいないか捜していると、弱々しい声で『おーい』と聞こえた。髪までぬれた男の子2人が斜面に横たわっていた」。裏山の反対側から駆け付けた石巻市河北総合支所の佐藤幸徳さん(51)は振り返る。
「歩けるか」と声を掛けると、2人は「大丈夫です」と答えた。開けた場所まで行き、他の避難者たちとたき火をして一夜を過ごした。2人は「誰かに大声で『山に逃げろ』といわれた」と説明したが、言葉は少なく、ずっとうつむいていたという。
震災当時、学校を不在にして助かった柏葉照幸校長。娘のランドセルが見つかった男性は捜索中、裏山を指しながら柏葉校長に疑問をぶつけた。「ここに登れば助かったんじゃないですか」。男性によると、柏葉校長は「そうですね。現場にいたらそうしたかもしれません」と答えたという。
市教委は「想定外の津波だった。山が崩れる危険がある中、農道を行く以外に方法があったかは分からない」としている。
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宮城県石巻市の市立大川小(柏葉照幸校長)は4月24日午前、間借り先の市立飯野川第一小で、東日本大震災で死亡・行方不明となった当時の6年生の保護者に卒業証書を授与した。また、同日午後には無事だった児童5人のうち、3人に卒業証書を手渡した。
大川小は全校児童108人のおよそ7割に当たる74人が死亡・行方不明に。当時6年生だった児童も21人のうち、16人が死亡・行方不明となり、3月18日の予定だった卒業式が、これまで開かれていなかった。
卒業証書の授与は非公開で、保護者向けには午前10時ごろから約30分間実施。出席した保護者らによると、冒頭に全員で黙とう。その後、児童の名前が読み上げられ、柏葉校長が保護者に卒業証書を手渡した。
6年生だった息子を亡くした父親(44)は「息子がいなくなってから、卒業証書をもらってもつらい。とにかく悔しいし、残念だ」と話した。
【東日本大震災パノラマ Vol.27】石巻市立大川小学校(2階の教室)を見る
【東日本大震災パノラマ Vol.28】石巻市立大川小学校(正門付近)を見る


























